Imperfect assumed question







   カラ、カラン




   ドアの上部に付いたカウベルが涼やかに揺れた




   「いらっしゃいませ――。…あ!」




   ベルの音に条件反射で声を発して振り返ったの視線が見知った人影を捕らえた


   「…今日も仕事か。邪魔させてもらうぞ、。」

   「…ようこそお越し下さいました。どうぞこちらへ。今日はお一人ですか?」

   「いや…、「猊下」もお越しだ。宜しく頼む。」

   「はい、畏まりました。」


   に案内されて、先導の男が店の奥の小部屋に入ってゆく
   …そして、「猊下」と呼ばれるもう一人の男も












   ギリシア、聖域のお膝元に位置するロドリオ村
   ここではまるで時が止まったかの如く数代昔風の生活が営まれている
   …とはいえ、人の生活する場所であることに変わりはなく
   故に人々が集い、語らう場所はここにも存在する
   ここ「THASOS(ΔΑΣОΣ)」は、この村で唯一の喫茶店であり、創業も200年ほど昔まで遡る老舗である


   父親が現在の店の主と竹馬の友であった縁で、は幼い時からこの店に出入りし、高校に入学した時点からはこの店でアルバイターとして勤めていた
   勤め始めて既に2年あまりが経過し、接客のノウハウはお手のもので、最近ではキッチンの手順も一通りこなすようになっていた
   店の主、ヨルゴスからも実の娘のように可愛がられ、は充実した日々を送っている








   キイィ――

   カウンターの奥にある小部屋の木のドアが僅かな音を立てて閉じられた


   「ようこそおいでくださいました。…いかがでした、本日の視察は?」


   がにっこりと笑って先導の男に声を掛けると、男は端正な口元に明らかな苦笑いを浮かべた


   「…、この部屋には客は居ない。その口調は止したらどうだ。」

   「あは、ごめんなさい。いつものクセで。ふふ、やっぱり「お客さん」なんだし、しょうがないわよね。で、村はどうだった?」

   「ああ…、いつも通りだ。今日は…確かソゾロスのところの娘…ええと、なんと言ったかな?」

   「んもう、エーヴァでしょ。」

   「ああ、そんな名だったな。そのエーヴァが隣村に嫁に行くとかで、結婚式が催されてな。それにご臨席あそばされたわけだ。」

   「ふぅん、エーヴァがお嫁さんか…。」

   「…うらやましいか?。」


   先導の男は、その大きな掌での頭を撫でた
   は、男にからかわれたと察すると、小さくぷっと膨れて見せた


   「クッ、お前は何時までたっても子供だな、。」

   「…そんなことないですよーだ。で、儀式はどうだったの?」


   に話しをせがまれた男は、後ろから入って来た男を顎で指した


   「それは、そこにおわす「猊下」に尋ねてみたらどうだ?ん?」


   先導の男に話を振られた「猊下」と呼ばれた男は、その重々しいマスクを持上げて外し、木製のテーブルの上に置いた
   仰々しいデザインのマスクが、ゴトリ、と音を立てる



   「カノン、あまりをからかうのは止せ。」



   仮面を外した男は、その嗜めるような口ぶりとは裏腹に、僅かに笑いを堪えるように目元を緩めた
   外されたマスクの下からは、少し癖のある青い髪と、白玉(はくぎょく)の如き端正な顔が現れていた
   …それは、先程からと親しく話しをしている先導の男と殆ど同じもので、傍目には区別が付かない
   それもそのはずで……彼らは双子なのだから


   「サガ。別に俺はをからかってはおらんぞ。」

   「嘘を吐くな、目が笑っておるわ。…、今日も仕事か?ご苦労だな。」


   先導の男…カノンからサガと呼ばれた男は、重々しい法衣姿のまま、の頭を撫でた
   『頭を撫でるのは、この双子の癖なのかしら…』とおかしく思いながら、はサガを見上げて聞いた


   「サガ、式はどうだったの?…エーヴァは綺麗だったでしょう?」

   「うん?…ああ、花嫁というものは、良いな。清楚な趣がある。」


   真顔で答えたサガの発言に、カノンはぷっ、と吹き出した


   「クク…サガよ、それではお前はただの変態みたいだぞ。」

   「なっ!カノン、私のどこが変態だと言うのだ。」

   「は――い、そこでストップ。お二人とも、お飲み物は何になさいますか?」


   は、喧嘩勃発寸前の二人の間に割って入った
   にこにこと木製のトレイを手にして立っているは、この双子より一枚上手だ


   「…紅茶を貰おう。…アッサムで。」

   「あ…ああ、では私も同じ物で頼む、。」


   ひらりと身を翻してドアの向こうに消えたの後姿を見送りながら、二人はすっかり毒気を抜かれていた






   の気配が表のカウンターのほうに消えたのを確認して、サガが口を開いた


   「…しかし、もうが18か。…我々も歳を取る筈だ。」

   「その表現に従うと、俺も年寄りみたいで賛同しかねるが、が18というのに驚く気持ちは俺も全く同感だ。
   …が生まれたのがこの間のことのように感じるな。…もっとも、俺は5歳以降のは知らなかったがな。」

   「それを言ってくれるな。…お前が海界に居た時分は、私が替わりにの成長を見守っていたのだからな。」


   カノンの嫌味に、サガは口の端を歪めて笑った
   その表情を見るカノンの脳裏にも、最早兄に対する感情のしこりは全く存在しないようだった


   「しかし、サガ、お前が13年間この店に通っていたと聞いたときは心底驚いたよ。…正体を見破られる虞もあっただろう。」

   「ふふ…まあな。だが…偽者とは言え「教皇」であった私が息を抜ける場所は此処しかなかったのだ。
   まだ頑是無いの顔を見ていると、己の信じる道のために何が何でも総てを突き進めなくてはならぬ、と気持ちを新たにできた訳だ。」

   「…成る程な。成長して行くを俺も見たかったが、まあ、俺としてはシオン教皇がお前を視察の身代わりに充ててくれるおかげで、
   こうして大きくなったにお前の随身として会えるのだからそれで十分だがな。」


   カノンはその細い顎に掌を当て、過ぎた時を噛み締めるように顔を顰めた後、徐に兄に向かってニヤリと笑ってみせた


   「しかし、その執心ぶりだ。が嫁に行くとき、お前は公衆の面前で暴れだし兼ねんな。…まるで父親のようだぞ、サガ。」

   「いや、そのようなことはあるまい。…私は、ただの幸せを願っているだけだ。勿論、悪い男になどは任されんがな。」

   「ほら、それだ。それが父親臭いと言っているんだ。そのうち相手の男を剣でぶった切ったりするんじゃないのか?」


   ククク、とカノンは笑い声を零した
   どうやら兄の大した親父っぷりに笑いを堪えられないらしい


   「悪ふざけは止せ、カノン。…お前だっての将来が気に掛からんはずがないだろうに。」


   渋い顔をしたサガに向かって、カノンは涼しそうな表情を作って見せた


   「いや、俺はお前と違って相変らず身軽な身だからな。がこれから先、大学に入って此処を離れようとも、どこへなりと追って行くことができる。」

   「カノン、まさかお前、不埒なことを考えているのではないだろうな?」

   「…さあね。お前はせいぜい聖域で頑張ることだ。」

   「……。」



   飄々と肩を竦めて見せたカノンに対してサガが黙り込んだところで、カウンターから続くドアが勢い良く開いた



   「お待たせ――。お二人さん、紅茶ですよ。」


   が先程とは違う銀製のトレーを手に、小部屋に入って来た

   「…ふふ、お二人とも、一体何をお話ししていたのかしら?」

   「い…いや、来週の視察の予定について、ちょっと、な。なあ、カノン。」

   「お…ああ。まあそんなところだ。」

   「ふふふ。それだったら良いんだけど。…お二人は何かと言うとすぐ喧嘩を始めちゃうから、私ちょっと心配なんですよ。」


   の少し意地の悪そうな笑みに、図星を突かれたサガは僅かにばつの悪そうな表情を浮かべた

   大き目のティーポットから、鮮やかな紅の液体がカップに注がれる
   紅茶を注ぐの流れるような仕種に、サガもカノンも暫し時を忘れて見入っていた


   「はい、どうぞ。お二人とも。」


   カチャリ、と小さな音を立てて、は二人の前にそれぞれソーサーとカップを置いた


   「ああ、いつもすまないな。」

   「ありがとう、。」


   二人がカップに口を付けたのを見届けて、はテーブルの側に置かれた椅子に腰を下ろした
   さも楽しそうに、は二人の表情を交互に見比べる

   同じ顔をしてはいるが、二人は紅茶の飲み方からして、全く違う
   カノンは何も入れないでそのまま飲んでいるのに対し、兄はミルクを入れて飲む
   飲むタイミングも、カノンは少し冷めてから一度に大量に飲むが、サガは熱いうちから一口づつ休み休み飲んで行く

   双子は行動パターンも似るというが総てがそうではないのだな、とは感じていた






   …は、二人の間に嘗て存在した確執を知らない
   勿論、二人が互いにそのような事情をに知らせたくなかったのもある
   少なくともの前では、人間としての暗い部分を見せたくはなかった
   「この娘にはまっすぐに育って欲しい」
   …ただそれだけが、二人の願いだったのだから
   事実、は周囲の人間環境にも恵まれ、真っ直ぐな人間に育っている
   …そのことが、サガとカノン、二人にとってはどれだけ眩しく思えたことだろう




   「ところで、。」


   カノンが、珍しくその場の空気を遮って口火を切った


   「はい、何かしら?」


   は、相変らずニコニコとした表情のまま答えた


   「お前、大学に行く気はあるのか?」


   さりげなく問うようでいて、カノンの視線はに一切の逃げ場を与えない
   は、一瞬その視線の強さに戸惑ったものの、ややあって口を開いた


   「…ええ。」

   「何を学びたいのだ、。」

   「う――んと、今のところ外国語系統かな。この国は、観光客が多いでしょ。だから。」


   サガからの問いに、ははっきりと答えた


   「…そうか。ふ――ん、一応お前のような御気楽な性格の持ち主でも将来設計は考えてはいるんだな。」

   「あっ、カノン酷い。これでもこの村の為になれば、と思って志望しているのに。」


   はカノンに向かって抗議するように不貞腐れて見せた
   その表情を見て、サガが苦笑いを浮かべる


   「、カノンを許してやってくれ。悪気があって言っているわけでは多分無いのだから。」

   「『多分』とは何だ、サガよ。」


   カノンが兄の台詞に僅かに口を歪める
   その様子に今度は、が笑い出した


   「…やっぱりお二人は面白いわ。ホントに見ていて飽きない。」

   「…。お前が大学に行く気があるのは俺にもよく分かった。で、お前の成績はどうなんだ?」

   「そうだな、成績が悪くては進学もまかりならんだろうからな。…どうなんだ、。」

   「…う。」


   一瞬にして、の周囲の空気が張り詰める
   …それは既に、冗談であれ偽証することを欠片も許さないという警告でもあった

   口をぱくぱくさせていたは、やがて覚悟を決めて言葉を発した


   「ええと…外国語の授業は成績良いんだけど…後、理科系もなんとか見れるくらいには。」

   「ほほ――う、それは重畳。で、何が良くないんだ。」

   「あの…、歴史がちょっと良くないみたいで…。」

   「何!観光客相手の職業に就くのに歴史が苦手でどうする、。」


   サガの言葉が鋭くを直撃する


   「…まあ、待てサガよ。…、お前歴史が苦手と言ったが、成績は実際どのくらいなんだ?」


   助け舟のようでいて追撃以外の何物でもないカノンの言動に、はますます小さくなった
   ぽそぽそ、とが自分の成績を蚊の鳴くような小声で呟いた
   …最早、それは及第点ギリギリの点数で
   職業柄、古今東西の歴史に精通するサガにとっては既に脅威的な数値としか思えないものであった
   うむむ、とサガがその大きな手で自らの顔を軽く押さえる


   「…まさか、そこまでとは俺も思わなかった。…悪い事は言わん、進路を考え直せ、。」


   聞くのではなかった
   カノンの声には、明らかな後悔の色が滲み出ていた
   これまで目にしたことのないほどの二人の打ちひしがれた様子に、は正直なところ戸惑っていた

   どうしよう…私の成績のせいで二人がこんなにも落ち込んでいる
   …少し歳の離れた兄のような、二人が






   「わ、私、やります!歴史の…世界史の勉強をします!」


   どん!

   木製のテーブルに、のめり込まんばかりの勢いでの拳が叩きつけられた
   かたかたかた…
   少し前に空になったティーカップが、ソーサーと共に揺れて軽やかな余韻を残す
   の突然の行動に、サガもカノンも驚いて目を瞬かせた
   …が


   がしっ!


   次の瞬間、サガの手がの細い手首を力強く捕えていた


   「サ…サガ?」


   自分の手を掴むサガの手が、小刻みに震えているのを感じ取ったは、恐る恐るサガの顔を覗き込んだ
   …途端、サガの頭(こうべ)が勢いづいて上を向いた


   「偉い!よくぞ言った、よ。…その向上心、このサガがしかと見届けさせてもらう。…カノンよ、明日から私たち二人でに世界史を教授するぞ。」

   「ええっ、何だよサガ。俺もか?」

   「…当たり前だ、馬鹿者。がこんなにもやる気になっているのだぞ、我々がやらんで他に誰がやる!?
   …それとも、私がに教えてやってもよいのだが…マンツーマンで。」

   「…チッ、しょうがない。付き合ってやるか。…一応、俺も海底を仕切る都合上、各国の地理や歴史はある程度は把握しているからな。
   こうなったら、ビシビシ行くぞ…って、おいっ!!」


   がっ!


   二人が問答をしている間に密かに小部屋を抜け出そうとしていたの左肩を、カノンが捕まえた
   …右手は、サガによって既に束縛されている


   「お…お二人とも、何も直々に教授してくれなくて結構ですよぉ――。勉強ぐらい、私一人でもできますって。」


   半ば涙声で、が懇願する…が、すっかりその気になっている二人の耳には全くと言って良いほど聞こえていなかった


   「…では明日の夕刻、私の執務が終る頃、迎えの者をこちらに寄越すことにしよう。場所は双児宮で良いか、カノンよ。」

   「…サガ、お前明日は教皇宮で当直ではなかったか?」

   「む…そうであったか。しかし当直とあれば邪魔が入りにくい分却って好都合やもしれぬ。シオン教皇に許しを頂いて教皇宮でやることにしよう。」

   「そうだな。教皇宮は一番上に在る分、雑音が入りにくいからな。も集中できて良いだろうな。」

   「…と、言う訳だ。おとなしく勉学に勤しむのだぞ、。」


   あ――あ、最早これは逃げられないわ
   がっくりと肩を落としたの背中を、サガがぽん、と叩いた
   今更ながら、自分の言動を軽はずみだったと後悔するだった
   一度決めたら誰が何と言おうとも一歩も退かない、譲らない
   そんな頑固なところは寸分違わないのだ…この双子は




   トレーを手にしたまま項垂れるに「では明日に。」と言い残して、二人は意気揚揚と店を後にした
   …勿論、表向きは視察帰りの『教皇猊下』とその随身であるので、サガは仮面を着け、感情を押し殺して歩幅をやや大きく取り、
   カノンはその後ろを少し前屈みに付いて行く
   しかし、店のドアを出たところから見送るには、はっきりと二人の嬉々とした心の裏(うち)が見てとれるのだった






   私…明日は、一体どうなるのだろう


   はあ、とは溜息を吐いて閉店時間を迎えた店の中へと入っていった




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